点軸とは、世紀末も間近な1998年に結成された2人組のヒューマニックなユニットである。
きっかけはその1年前にさかのぼるが、当時高校2年生だった"ヒデ"と"テツ"は、同じバスケ部に所属。
4階の一番端にある教室で、共に同じクラスで学んでいたのである。
そんな彼等を変えたのは、 忘れもしない9月の文化祭だった。
あの日の出来事を誰が予想できただろうか、いや、誰も予想できまい。
何かが違った。彼らが所属していたカレー屋はそのときどうでもよかったのだ。
中庭で繰り広げられていた「カラオケ大会」が、異様な光景を発していた。
崩れ落ちる外壁。気味の悪い高音。空気はものすごい勢いで客席を包み、異空間へといざなっていく。
ヒデが、「TRY ME」を歌えば、
テツが、全神経を集中しほとばしる筋肉で踊る。
結構な盛り上がりを見せたあのときの情景は、見た者すべての脳に焼きついたはずだ。
このステージの後に、テツの一言でユニット「点軸」が誕生。
しかし、何もしないまま、1年の歳月が流れた。
そしてバスケ部を引退し、受験戦争へ飲み込まれる3年の夏。
受験生にとって最後の夏は重要であり、最大の山場なのだ。
しかしヒデは、その一直線に伸びる道を進むことをやめた。
彼は、右側の草原へと足を踏み入れていった。
今思えば彼の夏は、「古本」と「ジャンク」という2つの単語で表せただろう。
そして忘れてはならないのが「作曲」。
ソフトウェアシンセを手に入れ、DTMに目覚めてしまったのである。
8月の終わりに思いつきで「Bicycle」「Burning Burning」「無題」の3曲を作り、テツに公表する。
このとき、テツはお返しに「リアルゴッタ」を作詞。
点軸が、再起動した。
9月。学校が始まると共に、テツは早速「BASIC」の作詞をはじめる。
その後、ヒデは作曲をはじめた。
9月22日、「BASIC」完成。と同時にカップリング曲「地球環境問題」も完成。
そして、文化祭はやってきた。
1年前の悲劇が、また繰り返される。
今度は、持ち歌だった。
ただ少し違ったのは、ヒデが歌い、テツが踊る、それは作られた曲ではなく、作った曲。
さすがに調子に乗りすぎて地球環境問題まで歌ったのは失敗だったが、
県立S高校史上初の出来事は、最大限の盛り上がりを見せた。
一つ悔やむことがあるとすれば、ヒデの母が(遠くからではあるが)歌っている姿を見ていたことだろう。
ヒデは、この事実を一切親に公表していない。
親には、まじめに受験勉強している姿だけを見せていた。
テツは、弟のケビン(仮名)にすらこの事実を公表していたが、ヒデにはできなかった。
この行動は、親を裏切ることになりかねない。
さすがに、消しゴムの裏の鍵の存在よりは知られてもいい出来事だったのだが、
どうやら親は何を歌っていたのかわからなかったらしく、誰かの新曲と思っていたと言っていた。
確かに、新曲である。「点軸」というユニットの。
こうして、彼らはどんどんと深みにはまっていく。
テツは10月に活動を休止したが、ヒデはそのまま活動を続けていた。
ヒデはその才能を買われ、Y大学に推薦合格。
この合格は、同高校の大量の人間が「ハンダコテの男の謎」として怒りに震えた。
ま、今となってはどうでもよいことだろう。
そして、200X年。
天竺が、再起動するかもしれない・・・。
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<曲目紹介>T:TETSU H:HIDE
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